皆さまのおかげでベトナムのお仕事に関わりだして丸7年が経過しようとしております。・・・・それなのにベトナム国内を知らなすぎる人、それが私です。我ながら反省しております。っということで、いままでベトナムの古都である「フエ(Hue)」に行ったことがありませんでして、今年初めて行きましたのでご報告を致します・・・・。今回はフエの歴史から行きます。あ、記載内容に誤りがありましたらご指摘ください。ちょっと自信がありません。。。(笑)
そもそもフエという場所ですが、ベトナムの中部にありましてダナンの比較的近くの場所にあります。ホーチミンからは飛行機で1時間ほどでフエの空港まで行くことができます。
タイトルにもなっている通り、フエという場所は「阮朝」という1802年から1945年までベトナムに存在していた王朝の首都となっていた場所でして、ベトナムの近代史を知るうえでは重要な拠点です。驚くべきところは1945年という本当につい最近まで「王朝」というものが存在していたことです。「王朝時代」として日本を見ると「平安時代(794年~1185年)」辺りになるそうです。(Wikipediaより)でも、「皇室」が現存する日本は今でも「王朝」が存在する?のですか??教えてください、偉い人!
さて、「阮朝」のお話に戻りましょう。「阮朝」はベトナム全土を最初に統一した王朝でして、同時にベトナム最後の王朝でもありました。最初の皇帝である「嘉隆帝(かりゅうてい、ザーロンてい)」が「阮朝」を建国する1802年近辺、ベトナム国内はバタバタとしていました。これまで長いことベトナムを支配してきた「黎朝(1428年~1527年、1532年~1789年)」の足元がぐらつき始め、ベトナム南方を支配していた阮氏に対する「西山の乱」が発生、その後もバタバタは続き「ドンダーの戦い」で「黎朝」は崩壊を迎えます。ここで出てきたのが1802年まで続く「阮三兄弟」率いる「西山朝(せんざいちょう、タイソンちょう)」という王朝です。この時、打倒された「阮氏」一族ですが、「阮氏」一族である「嘉隆帝」を「西山朝」は「西山の乱」で逃してしまっていました。これが「西山朝」の崩壊へつながります。
「嘉隆帝」はタイとフランスの支援を受けてベトナム各地で反撃を開始します。そして1802年、北部のタンロン(現ハノイ)に進軍し、「西山朝」の「阮三兄弟」を皆殺しにして「西山朝」を崩壊させます。こうして「西山朝」も長くは続かず「大越国」と呼ばれてきた大きな時代が崩壊を迎え、ベトナム全土を統一し「阮朝」の時代がやってきます。そして、ここから新しい国号である「越南」が始まります。この王朝の首都として指定されたのが「フエ」です。
長くなりました!ここいらで一旦終了!最後に写真でも~
フエ王宮に存在する国旗台。日本ではあまり感じませんが、ここベトナムでは国旗の存在感や偉大さを感じます。そんな場所の一つ。